令和3年4月の新聞の地域ニュースとして「和木波子海岸の浸食対策」と「和木地域コミュニティー交流センターへのイルティッシュ号殉職者慰霊碑移設」の記事が掲載されていました。両工事を㈱服部工業が施工に致しました。

-:- 和木波子海岸修繕工事 -:-
浸食が進み、道路わきの電柱が傾くなど、かなりの被害がでていました。当社が工事を行う事となりましたが、浸食の進んだ海岸工事。天候や波の状態に風の強さに翻弄されながらの作業でした。冬季には「冬の日本海」の洗礼も受け、年末年始も朝夕と見回りを行いました。皆様が安全に通行出来ます様に社員一同、全力で取り組んでまいりました。

また和木波子海岸におきましては、今後も修繕工事の予定がございます。騒音や道路規制など、住民の皆様にはご迷惑をおかけいたします。ご理解とご協力の程、宜しくお願い致します。







-:- イルティッシュ号救済による殉職者慰霊碑移設工事 -:-
慰霊碑の海の見える高台から和木地域コミュニティー交流センターへの移設工事。
地元和木町の方々が大切にしてこられた、慰霊碑。慰霊碑の高さ約3m。慎重に作業を行い、無事移設いたしました。少しでも地元に貢献出来き、㈱服部工業としても嬉しい限りです。

旧設置場所



新設置場所


-:-:- イルティッシュ号投降事件 -:-:-
 1905年5月27日、ロシア・バルチック艦隊の特務艦「イルティッシュ号」が日露戦争の日本海海戦に参戦。日本艦隊の砲撃を受け制御不能となる。その後ウラジオストを目指し北上するも、時化を回避していた多くの漁船を日本の軍艦と誤認してしまう。引き返えそうとするが、航行不能となり島根県江津市の和木の真島沖で沈没。イルティッシュ号は白旗をあげて投降。それを見た町民らが漁船などを出してイルティッシュ号の乗組員265人を救助した。

慰霊碑は特務艦の引き揚げを試みた元日本船舶振興会長の故笹川良一氏が1959年に建立。